指定文化財第一号 昭和59年10月26日指定
1.北畠家旧家屋
永禄元年(1558)浪岡御所九代「北畠具運」の弟「顕範」が西方の固めとして古舘に築いた一城である。
2.錦旗
後醍醐天皇(鎌倉時代・1330年代)より北畠家に賜った御旭旗であり、北畠顕家(1317~1338)が拝領と伝えられる。
3.直垂の袖
4.永禄日記
北畠家に伝わる永禄元年から安永七年までの記録を山崎立朴がまとめ編集したもので津軽にとって極めて貴重な日記である。
5.菅江真澄の作と伝えられている古舘城址見取図扁額
6.北畠家に関する古文書
指定文化財第二号 昭和61年3月20日指定
五雲山正休寺山門 一棟
寛政年間の建立と推定され、切妻造、四脚門、組物平三斗、中備蟇股、笈形付大瓶束等、大胆な構成が特徴である。
指定文化財第三号 昭和61年3月20日指定
旧役場庁舎正面玄関 一棟
建築棟梁:堀江 佐吉 氏(弘前の卓越した棟梁)
明治32年に新築落成した際の板柳尋常高等小学校の正面玄関である。
現在は、郷土資料館に移転保存されている。
指定文化財第四号 昭和62年5月22日指定
表町七福神舞 一組
祝い事(結婚式、開店祝い、新築祝い、記念式典、厄除けなど)に招かれて演ずる。
神主の御払い・大黒天の舞・弁財天の舞・福禄寿の舞・恵比寿の舞・毘沙門天の舞・布袋の納めの舞で伝承されている。いずれの舞でも「みさいな」という囃子詞がかけられるのが特徴である。
指定文化財第五号 昭和62年5月22日指定
五林平太刀振り 一組
村の中の虫を太刀をさかんに振りながら、村の外に追い払うという切実な願いをこめた踊りである。農家の豊作に祈りを込めた芸能である。
指定文化財第六号 平成5年2月19日指定
サワラとイチイ 一対
須郷家(石野)の先祖が、県境の西海岸須郷崎より当地に移住した時(1600年頃)持参した記念木。
サワラ:樹齢~200年 樹高~13.0メートル 幹周囲~2.4メートル
イチイ:樹齢~400年 樹高~5.0メートル 幹周囲~1.5メートル
指定文化財第七号 平成15年2月26日指定
寶量大權現大幟 二流
安政六年(1859)御蔵町氏子中が寶量宮に奉納した麻製の大幟。
当時の町民が大幟に託した願いが伝わってきそうな堂々とした物であるとともに、染め物技術の高さや豊かな芸術性を伺わせる物である。(麻製 12.35メートル×1.2メートル)
指定文化財第八号 平成16年7月21日指定
アカマツ
慶長五年(1600)石田三成が関ヶ原の戦で徳川家康に敗れたが、三成の子石田隼人重成(源吾)が落ちのび深味に隠棲、姓を杉山に変え、現在の三上家の所に屋敷をかまえ、杉山屋敷とよばれた。
アカマツは当時植えられたものであろう。松の樹形がよく手入れされて来た様子がうかがえる。
由緒ある屋敷に生育し、歴史的な価値も高い。
所在地:板柳町大字深味字深宮4番地
樹齢~400年 樹高~17.25メートル 幹周囲~2.77メートル
指定文化財第九号 平成16年7月21日指定
サイカチ
地上5mの所まで空洞であり、マメ科に属するサイカチの実は石けんの代用や、漢方薬として利用されることがある。
所在地:板柳町大字掛落林字宮本111番地
樹齢~300年 樹高~8.0メートル 幹周囲~4.48メートル
指定文化財第十号 平成16年7月21日指定
イチョウ
成長が旺盛なので、銀杏の結実もよく、町内随一の巨木である。
所在地:板柳町大字小幡字柳田45番地
樹齢~350年 樹高~36.0メートル 幹周囲~5.15メートル
指定文化座第十一号 平成16年7月21日指定
ハルニレ
全国第三位の巨木であり、枝が十分に張り樹勢が盛んである。樹皮は繊維として珍重されている。
所在地:板柳町大字石野字宮本1番地
樹齢~500年 樹高~26.5メートル 幹周囲~6.68メートル
指定文化財第十二号 平成16年7月21日指定
アカマツ
赤田集落の南入口に赤肌の木肌をしたアカマツであり、地上1.5メートルの所で二股になっていて、その股の所からニワトコが生えている。
所在地:板柳町大字赤田字松下無番地
樹齢~300年 樹高~12.5メートル 幹周囲~3.55メートル
指定文化財第十三号 平成16年7月21日指定
トチノキ
十川の堤防沿いに生えた一本であり、果実が多く取れ、薬用や凶作時の食糧に、幹は板材に利用された。
所在地:板柳町大字夕顔関字長田34番地2
樹齢~450年 樹高~20.0メートル 幹周囲~4.53メートル
指定文化財第十四号 平成19年7月5日指定
古文書(板屋野木中屋敷並堤之間数、同寺屋敷宮地書付控之帳他九点)
貞享元年に着手された領内総検地である。絵図面は、明治初期の町役場の場所や町全体が描かれており当時の町の状況がうかがえる貴重な資料である。
指定文化財第十五号 平成21年2月25日指定
板柳町獅子踊り 一組
1567年 津軽為信公が、現在の板柳町福野田地区に開港し、その後寛文に入り津軽藩第4代藩主 信政公が船頭の安全祈願のために獅子踊りをさせたといわれる。城主の前で披露するなど由緒ある津軽藩ゆかりの踊りである。
踊りは兄獅子、弟獅子、雌獅子、オカシコの4人1組で踊り、十曲からなる。
指定文化財第十六号 平成24年6月25日指定
板柳町どだればぢ踊り 一組
昔から津軽地区で異なって踊られていたが、表町の故葛西喜十郎氏が板柳町独自の踊りを昭和32年頃創作した。現在、板柳町正調盆踊り・流し踊りとして踊られている。
指定文化財第十七号 平成24年6月25日指定
海童神社(祭神 上津綿津見命・中津綿津見命・底津綿津見命)
文禄2年(1593)豊臣秀吉が征韓のため肥前名護屋に陣を設けた時、津軽為信公が津軽の侍、弓鉄砲隊を派遣するため軍の兵糧運搬置場を船岡(大蔵町)に開いた。
十三湊から日本海へ航行される際の海上安全、国土繁栄の祈願所として宝量宮を建立した。現在地に遷宮したのは承応元年(1653)である。その後明治6年(1873)海童神社と改め、明治40年に神饌幣帛料供進指定神社に列格された郷社である。
- 拝殿
- 本殿(奥の院)
- 中門(唐門)
- 神楽殿
- 赤穂ゆかりの御神輿
- 宝量宮の額面(海童神社の前身)
- 神明宮(祭神 天照大御神)
- 淡嶋宮(祭神 少名彦命)
指定文化財第十八号 平成27年6月24日指定
海童神社神輿渡御 一組
元禄15年(1702)に当時の豪商若狭屋儀兵衛が海童神社に神輿を奉納したことを契機に始まり、猿田彦太神を先頭に「お獅子、神輿、巫女、権現様、馬に乗った神主など」が笛と太鼓で囃子をつけて街を練り歩いたとされている。現在は、総代の案内で神主が獅子頭を伴い氏子の一軒一軒を訪問し、無病息災、豊作祈願などの祈祷をしている。さらに夜には神主が拝殿で神楽舞を踊り、町民たちの家内安全などを奉納している。